晨星は明け方の空に消える
しんせいはあけがたのそらにきえる
油断した、というのか。
朝から体調は最悪で、重い体を悟られないように捕り物に赴く。
張り込みしていた部隊が逆に襲撃にあい、応援要請を受けていた。
屯所に残ってる連中に簡単に指示を出してさっさと現場に行く。
基本的に待つ、ということは性に合わない。
現場の混乱の中、視界の隅に見慣れた亜麻色の髪が派手にやってるのを見つけた
のでそちら側に応援は不要と判断し、手薄なところに切り込んで行く。
「副長!」
先発隊の一人が声を上げる。
「ここはいい、怪我人を下げさせろ」
「はいっ!」
部下のほっとした顔に心の中で顔をしかめるが今はそれどころではない。
不意打ちを受けたとはいえ、仮にも新撰組の隊員ともあろうものが情けねえ面しや
がってと思わずフィルターを強く噛む。
「副長っ!」
他の隊士とは違った、山崎の責めるような口調の呼びかけ。
「あん?」
わざと鷹揚に返事をする。普段ぼけぼけしてる割に時折敏い部下ってのもどうだか、
と内心で舌打ち。いつものように馬鹿っぽくミントンしてろ。
もちろんその後シメてやるけどな。
監察方の山崎とはどうしても接する機会が多いから体調不良に気付かれたらしい。
不機嫌なまま視線だけで威嚇すればしゅんと、大人しくなる。所詮は山崎。
不調を口に出さなかったのは及第点だが。
「俺はいい、後を頼む」
さっさと言い置いて突入する。
こんな乱戦になっちまえば後片付けが大変なのはわかりきっている。
この際撤収準備させるにはもってこいの人材だ。
「副長!」
追いすがるように背中にかかった声は当然聞こえないフリをした。
思ったより人数はいなかったがゴロツキには勿体ない腕をした輩が混じっていて、
部下達の苦戦の意味を知る。
「つか、このレベルで苦戦ってあいつら、なってねえ」
苛々と刀についた血糊を払う。
懐紙で油を簡単にとり、鞘に収めてどっちが正義の味方がわからないと評判な凶悪
な視線で周囲を見回す。敵の気配は無いようだ。
ふと。力を抜いたその時、どっと体に重みがかかる。
「ちっ」
朝から引きずっている不調に舌打ちする。
面白くねぇと新しい煙草を取り出したものの力の入らない指先から煙草がすり抜けた。
同時に。
「死んで下せぇ」
普段より殺気がこもっているのは捕り物の後でやや興奮しているからか。
しかしいつものその声の向こう、瞳の奥に暗い光をみてややうんざりする。
ああ、こいつもこんな時に限って面倒なモン抱え込みやがって。
暫く忙しくて見てなかったな、とチラと思う。近藤さんが暫く留守をしてるとコレだ。
どれだけ剣が強くとも、信ずるものがあっても揺らぐ不器用な、こども。
『本当に殺したいのかもな。』
やや自嘲的な気持ちが生まれたのは疲れているせいか。
向かってくる間合いをチラと図る。
フッと浮かんだ自嘲的な笑い。瞳を閉じたその刹那。
「っ!」
イ駿手ごたえに信じられないものを見たといった、総梧。
その顔は驚きだけではなく。
「何間抜け顔さらしてんだ」
未だ呆然とした総梧をチラリと見やって、無感動に刀を掴んで引き抜く。
「さっさと引き上げの準備にかかれ」
ぽい、とその手を離しいつもと変わらない口調で指示を出す。
「土方、さん…」
上手に刺されてやったろ、と優しく声をかけてやる。
「俺はフケる、そんな元気が余ってんなら後はお前と山崎でやっとけ」
背後の総梧にまだ動く気配は無い。
「…総梧」
ビクリと揺れた空気。
「俺の血は何色だ、それ冷てぇのか?」
「……」
「オメーは頭悪ィんだから小難しく考える必要なんざねえんだよ」
ペッと既に火の消えた煙草を吐き捨てる。
「近藤さんが屯所に戻ってる、戻ったら指示に従え」
それだけ言って現場を後にする。
懐から携帯を取り出して、連絡を2件。どちらの相手も数コールで出た。
一人は苦笑気味に快諾し、一人は泣きそうな声だったが当然無視だ。
現場を立ち去ったものの、ふらふらしてきた頭に苦笑する。
屯所には帰れないが、医者に行くのも面倒だ。
傷は深くないし、出血はたいした事ないのでそっちの心配はあまりない。…多分。
互いに外した急所に苦く笑い、いつものように手を伸ばして。
「あー、煙草ねぇ」
道路脇の壁に背中をつける。朝になって血痕が見つかったらさぞかし気味悪がれる
だろうが知ったことか。
半ばどうでもよくなって、空を見上げる。
昔は、星しか見えなかった夜空。
(俺には他に行くところなんて、ないんだな…)
苦い笑いがこみ上げてくる。
わかってはいた事だが。新撰組以外に戻るところなんてない。
「まったく…」
総梧もそうだが自分だって感傷なんざらしくなさ過ぎる。
仕方なく連絡をもう一件。しぶしぶ押した通話ボタンに溜息が出そうになった。
ふと、意識が覚醒する。空気の冷たさが夜の気配を感じさせる。
捕り物が明け方だったから、随分ゆっくりの目覚めになる。
布団から身を起こし、そっとあたりを見渡す。
枕元には薬袋と水差し。隊服は無造作においてある。
意識と記憶が覚醒してくる。
あの後御用達の藪医者まで辿り着いた後、記憶がない。
連絡するなとは言ってあるがどうなっているやら。
ブブブブブと携帯が低い音で揺れていた。
着信の名前を見てややうんざりしつつ答えてやる。
「なんだ」
「ふ、副長!」
出ると思ってなかったのか明らかに動揺している、本当に面倒だ。
「俺は休暇中だ、用件なら帰ってからにしろ」
「え?あ、ちょっとま…」
ブツリ、と通話をオフにしてやる。
溜息をついて水差しから水を飲み、静かに隊服を着て薬袋を懐に入れる。
「さて、帰るか」
むさくるしくて、騒がしくて、面倒で、聞き分けがなくて、それでも
あの暖かい場所へ。
「手土産に煙草くらいて持ってきてんだろーな」
門を出ると予想通り俯いて立つ小柄な背に声をかける。
「ヤニ切れで死にやがれ」
「ああそうかよ、気が効かねぇなぁ」
逃げ出す前にその腕を掴む。
「とりあえず飯だ」
問答無用で歩き出す。
珍しく抵抗はしないが重い足取りの総梧がくん、と鼻を動かす。
消毒液の臭いを嗅ぎ取った子供がまた変な方向に考え込みそうだと思うと
面倒になって、強く引き寄せようと振り向きざまに聞こえた呟きは。
「…煙草の臭いのしないアンタなんて気持ち悪い」